序章  中編



気合を入れなおして前へと進むリン。邪魔にならないよう、ティーウは遅れて付いてくる。
彼も言っていたが周りがやけに静かだ。そして殺気が感じられないということは、奴の他に山賊はいないという分析も正しいと思う。
行き先であるゲルの向こうに山が見える。どうやらあそこから降りて来たようだ。
ベルンは元々山岳地帯であり、アジトの遠くへも出勤してくる輩はよくいる。

だから2人だけで来たのも不自然なことではなく、リンはティーウの分析を心の中で褒めることにした。
目的地まであの少しというところでリンの思考が統一される。山賊を斬る。逃がすなどと甘いことはしない。
同族を襲ったことをあの世で後悔させてやる。二人だけで自分の同胞を襲おうと思ったことを迂闊だったと思わせてやる……と。
今から剣の柄を握ってしまう。

残り一体の山賊はゲルの入口から出てくると、自分達の存在に気がついたようだ。
ここの住民は既に非難を終えた後か、あるいは殺されたかはこの男を討てば分かることだ。
どちらにしろ山賊はゲルの中にある物を荒らしまくり、中は見るも耐えない有様であることだろう。
自然と持っている剣に力が入る。これではいけないと呼吸を整えて目前の敵に集中する。

ティーウの治療のおかげか腕の痛みも大分なくなり、特に気にせずに戦えそうだ。
「ティーウ、勝負の邪魔にならないところまで離れてて。後はアイツを倒せば終わりだから!」
「わかった。だが油断すんなよ? さっきのやつよか大分雰囲気が……ってオイ!」
返事を聞ければ後の言葉なんてどうでもいい。リンはゲルにいる山賊に真っすぐ進んでいった。

斬る。その単純明快な目的に迷いはない。その剣速は同郷の男の剣士のそれを上回っていると自負している。
速さで撹乱し隙を作って斬りかかるといういつもの作戦が、この山賊に通用しないはずがない。
「なんだぁ? おまえたち」
山賊も構えをとった。得物の斧は先ほどの男よりも使いこまれているが問題はない。いつものように、まずは脇を狙いにかかった。
「覚悟っ!」
初手の太刀を浴びせた後、思わず声に出して男に叫んだ。
別に返事を期待したわけではないが、男のその返事はリンの想像をはるかに上回ることに変わりはなかった。
「……おまえがな」
男のその言葉と同時にリンの背筋に寒気が走る、そして頭上に来る禍々しい凶器を感じ、反射的に剣で受け止めた。重圧がリンの両腕を襲う。
「このバッタ様をなめるなよ!?」
「くっ……!」

無反応!?
リンはその事実と向き合うのに多少の時間がかかった。いつでも相手を撹乱できた自分の素早さに、この男はまるで対応しようとしなかった。
一太刀を浴びせても気にすることなく、始めから肉斬骨断を狙っていた。
その瞬間リンは相手の見積もりを誤ったことを思い知らされた。この男は今まで戦ってきた山賊とは一回り違う体力を持っていたのだ。
どうにかこのバッタという男の斧を受け止められたが、低めの構えをとっていたリンに腕力が重なった斧を受け切るには、受けの構えをとる体制になりきれなかった。
「っ! 腕が……」
おまけに先ほどの怪我の痛みが再び襲ってきた。急な負担に悲鳴を上げる腕の高さが段々と下がっているのが分かる。
このまま力押しで来られて、剣ごと身を叩き斬られてそれで終わり。
「もらったぁ……!」
もう腕が限界に達していた。このまま押しつぶされるように斬られ、動けなくなる。即ち殺しあいの結末、その瞬間はもう目前にまで来ている。
「ティーウ……!」
だが自分が死んだら彼はどうなる? 自分を斬った後、奴は間違いなく彼を狙う。もうこの手で守れないなら、せめて声をかけなきゃいけない。
「ティーウ……逃げ――」

「目を瞑るなあぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!」

その怒号は背後から響き、稲妻が落ちたかのように自分の背中に撃ち抜かれる。
「!?」
一体何が起きた?
後ろの稲妻もそうだが、斧の重みも一気になくなった。重圧から解放された全身が草原に崩れ落ちてしまう。尻もちを付くなんて、それこそとんでもない隙のはずなのに、斧が再び振り下ろされる気配はない。
そして次の怪奇は、稲妻が落ちたのとほぼ同時。
後ろから何かを蹴とばす音が聞こえた気がした。小さな風圧と物体が自分の頭上を掠め、見上げた先の男の顔面に直撃したような音であった。ギャアッという品のない悲鳴が聞こえ、反射的に頭上を見る。
バッタは片目を押さえながら振り上げていた斧が顔の近くまで下がり、同時に額に血管が浮かび上がっていた。
「こんの……小僧ぉぉぉぉ!!」
無事な片目に映っているのは剣を持ったリンではない。落ちていた石を蹴飛ばして自分の目に当てた男の方だった。再び斧を振り上げ、リンを突き飛ばして男に襲いかかる。
男……ティーウは涼しい顔で、片目を押さえている山賊に言葉をかける。同情というよりも、他人の不幸を冷やかすときの不快な声色で。

「あららららら……目に当たるとは運がない」
「死ねぇぇぇぇぇぇ…………っ!!!」

……またも斧は振り下ろされない。それどころか大切な斧を落とし、顔面を抑えつけながら転げまわる。何が起こったのか。それが分かるのは、一撃が一足早かったティーウにしか分からない。
「それじゃあ、もう片方の目も潰したくなっちまうよ」
「ぎ……ぎゃああああああああああああああああ!!!」
山賊が再び抑えつけている手の指と指の間には、鉄の芯のようなものが挟まっていた。矢よりも遥かに小さく、それだけに殺傷能力があるとは言い難い。
それにあの一瞬でこのような物が、二人の間の短距離で目に刺さるとなれば、相当な速度で芯が発射されたことになるのだが……。

「何やってんだリン! 止めを刺すなら今しかないぞ!」
「!?」
ティーウの声で完全に我に返ったリンは再び剣を取り立ち上がる。怪我による痛みを一時的に押さえつけ、強烈な縦一文字を男に食らわした。
男は再び悲鳴を上げて力なく倒れた。両目を襲う激痛から解放された代償に、息を引き取ることになった。
「はぁ…はぁ…はぁ…」
「ったく、危なかったな。言っただろ、さっきの奴より雰囲気が違うって!」
「ご……ごめん」
ティーウの怒った顔を直視できずリンは俯いてしまう。眼線が下がるのと同時に、ティーウの手元に目が行った。万年筆のような筒だった。筒と手の間には、先ほどの鉄芯が挟まっている。
「ティーウ……それは?」
「武術はからっきし出来ねぇけど、戦えねぇとは言ってねぇだろ?」
ティーウはしたり顔をしながら、その筒をリンの目の前まで近付けてくれた。万年筆のような形のその筒には、先ほどの鉄芯がすっぽり入るだけの穴が開いていた。
親指にかかる個所には小さなでっぱりがあり、そこを押すことによって芯が発射される仕組みになっているのだと思う。
「くれた人によると、スリーヴっていう遠い国の武器らしい。狙う所は主に打たれ慣れていない顔面か、急所の喉元。芯さえ装着しておけば、予備動作も必要ない優れもんだ。あれ位の距離でないと正確に当てる自信ないけどな」
要するに隠し武器だ。丸腰と油断させておいて不意打ちでその鉄芯を食らえば、敵もひるまずにはいられないだろう。ティーウは手の内を見せるのは終わりだと、すぐに胸ポケットに仕舞われてしまう。そういえば、そこは運んだ時に確認していなかった。
「…………」

いや、気になるのはそこではない。それを体の一部のように使いこなし簡単に人を殺す手前まで追いつめる体捌き。それもその細身の体と腕で、たった一人で旅をしている彼本人。
あの治療技術を見た後は医者なのかと思ったが、そもそもどうして医者が一人で旅をしているのかが分からない。
ティーウに医者なのかと聞いた時、「そんなもんかな」と彼は答えた。ならば正確にいえば医者ではないということだ。
ということは軍師だとでもいうのか。確かに彼の分析はリンを納得させるものであったが、あれはむしろ付いて行くための口上という方がしっくりくる。本業は何なのかを考えれば、まだ医者の方が説得力ある答えといえるのではないか。
医者なのか軍師なのか。そんなリンの頭の中で揺れる天秤は、次のティーウの言葉で軍師に傾くことになる。

「獲物を狙う順序ってのは状況と本能で決まる。今すぐにでも狩れる獲物を無視しなければいけない状況とは、簡単な狩りのはずが余裕を失くすほどの邪魔をしてくる障害の有無」
ティーウは【獲物】という単語の時にリンを指さし、【障害】という単語に対しては自分自身を指さして言葉を続けた。
「その邪魔で激怒し、かつその障害がすぐに片付きそうな奴ならば、本能に任せて突っ込んでくる確率は高くなる。無防備で戦場に居るなんて怪しいと、冷静になれば考えられるだけの頭をそいつが持っていたとしてもな」
どうだ、それっぽいか? というティーウの表情にリンは言葉が出ない。

あの時の彼は、考えなしに自分を救おうとしたのではない。敵の山賊は恐らく、自分しか戦う力を持っていないと認識していたと思う。事実あの袖箭を見せられるまで、彼を戦力として考えていなかった。獲物が二人いて片方しか戦う力を持っていない。彼は一目そのようにしか見えない情報を利用し、いざという時に備えて自分に加勢できる準備をしていたのだ。
……つまり、この場を制しきったこの軍師様は、敵どころか味方までも欺いてくれたというわけだ。
「ねぇティーウ、あなたってやっぱり……」
「それよりもだ!」
急にティーウが場を仕切るかのように言葉を発し、リンは思わず黙ってしまう。まだ何か怒られるようなことがあるのかと思い構えてしまうが、ティーウは山賊が落とした斧を拾い上げ、それでリンのゲルを差して言う。
「リン、そろそろ帰らないか?」
「え? ……そ、そうね」
リンが返事をすると同時に、分かりやすい音が耳に入る。腹の虫が鳴く時の独特な音は、二人がこの戦いが終わったことを実感するのに十分であった。

「いい加減、草以外の食いもんにありつきたいんだよ」
「ふふっ、そうだったわね。帰ったらすぐに作ってあげるから」
「んで……そいつどうすんだ?」
ティーウが倒れている山賊を指さした。既にこと切れているので危険はないが、いつまでもここに放置しているわけにはいかない。荒らされたゲルの家主がこの場にいないことが幸いだが、放っておけば死臭も漂うのでどこかに埋めなければならない。ともあれ、まずは避難した仲間たちに安全を伝えてから処理を始めるべきだろう。
「とにかく一度みんなを集めてからね。……相手が一人だからって油断したわ。心配掛けてごめん」
リンは改めてティーウに頭を下げた。
「構わねぇさ、勝ったんだから。……変なこと聞くけど、今まで何人の山賊を斬った?」
「う〜ん……まだ数えられるくらいかしら。たくさん戦って、もっと強くならないとね。もっと誰にも負けないくらい強く…」

ティーウはそうかと簡単な返事をした後、特に続きの言葉を発さずに帰宅を促した。リンも特に気に掛けず、一緒に自分のゲルに向かう。
誰にも負けないくらいの強さを得る……それは何十何百の誰かと戦うことで手に入る。
リンにとって、そのことに迷いはなかった。強くなること、それが仲間を守ることに直結しているからだ。
ティーウはきっと、そのことを感じ取って何も言わなかったのだと、リンは思うことにした。





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