序章  前編



自宅に到着すると、少女は倒れていたその人をベッドに寝かした。
黒髪に黒い服、更には紺色の布…いや、マント。どこを見てもボロボロで、所々穴があいている。
どれだけ長いこと旅をしてきたのだろう。
更に右腕には、肩から手首にかけて包帯がグルグル巻かれている。怪我かそれとも骨折か、その腕は妙に細々しく頼りない。

もしかして病気なのだろうか。

「あ……!」

いけないと声を上げそうになる。ちょっと衣服に先ほど倒した男の血が付いてしまったのだ。
生地が紺だから目立たないだろうが、後で謝っておかねばなるまい…。
旅人に目を覚ます気配はない。しばらくは横にしておいた方が良さそうだ。

「とにかく汚れた顔を拭いてと……」

少女は独り言を言う。思いつく一通りの献身が終わってから、彼女も椅子に座って仮眠をとることにする。
彼女のポニーテールもまた、風に揺らめくのをやめるのだった。


序章 草原の少女


山から顔を出し始めたと思っていた太陽が、気が付けば頭上の真上に君臨している。
風は一日の始まりと何ら変わらず気ままに吹き流れる。
外の空気が暖かくなるのを感じ、少女は目を覚ました。眼をこすってベッドに目を向けると、今朝助けた旅人が横たわっている。
未だに目を覚ましていないようだ。

旅人にとって底を尽いてはいけない物、それは体力、食料。そして路銀辺りだろうか。
少女は目が覚めていない今のうちに、失礼と分かっていながらも荷物を拝見してみる。
草を食べていた程だから当然食料は残っていない。路銀もわずかだった。
あとは長めの布と縄と、それらを切断するナイフが一本。護身用の武器としては心許ないが、それ以外にそれらしき武器は見当たらない。

顔立ちを覗いてみると、自分と大して年の変わらない、若しくは少し上くらいに見える。
体格はそれ程でもなく、むしろ痩せ形で細い。だが所々にある体の傷具合から見ても、相当旅慣れたようにも見える。
少女は、その体格と旅慣れた痕跡の不釣り合いさに疑問を覚えた。その時、風が穏やかではない音を少女の耳に運んできた。

「……外が騒がしい」

少女はふと顔をあげて玄関に目を向ける。爽やかだった風はどこへやら、一瞬にして警鐘が鳴り出したかのように張り詰める。
少女は剣を手にし、外へ出た。横になっている旅人には目もくれず……。





「…………お?」

旅人が目を覚ましたのは、少女が外に出たその直後だった。

「……………ぉお?」

辺り見渡すとここは室内ではないか。確か空腹を紛らわそうと草を口にしようとして、それ以降は覚えていない。
すぐ傍にあるのは濡れタオルと水の入ったお椀。マントは椅子にかけられている。
特に束縛されていないところを見ると、どうやら親切な誰かにここまで運ばれたようだ。

「ははっ、ラッキーでやんの……にしても外が騒がしいな」

旅人もまた玄関へと目を向ける。
どう聞いても平和な騒ぎとは呼べない音が耳にも入り、どうやら久々のベッドの心地をのんびりと楽しんでいられなさそうだった。
ベッドから起きて体を伸ばす。体が鉛のように重かったが、机の上に自分が目を覚ました時の為に用意されていたであろう水があった。
これを手に取り豪快に飲み干す。そして一度深呼吸をして体が軽くなったところで、そのまま外へと歩んでいった。

周りは異様なまでのパニックに陥っていた。この草原の民が、次から次へと何処かへ走り去っていく。
老若男女問わず、誰もが必死になって走っていく。とはいえ人数は少なく、十人前後という小規模なものだ。

中には、体のどこかに古傷を抱えている人までいた。旅人はその傷口を見た瞬間、軽いため息を突いた。
一瞬しか見えなかったが、アレは恐らく斧の太刀傷。草原の民は基本的に剣と弓を使い、近隣国であるベルンの兵は槍を主に使う。
またこのご時世と状況、旅人が理解に及ぶのに時間はかからなかった。この近辺で斧を好んで扱う輩と言えば……。

「山賊……か」




サカ草原の南にある国、ベルン。山々に囲まれた天然の要塞のような地形を要する武力王国である。

ベルンには飛竜…いわゆるドラゴンが多数生息しており、それらを馬の代わりに用いる竜騎士が存在する。
山は歩兵や騎兵にとって、機動力を削られる厄介な地形だ。

それに比べ飛竜はその地形効果を全く無視し、動きが自由に取れない兵を空から襲う事が可能なのである。
正に地の利を生かしきった守備の要衝。軍事国家と謳われるベルンの特徴である。
が、いくら軍事力が強くてもそれが直接治安に結び付くわけではない。

軍備増強の陰には、国民への略奪があるのだ。

奪われた民はそのまま朽ち果てるか、生き残るために誰かから恵んでもらうか、もしくは奪うかのどれかの道を迫られる。
山賊の主な武器が斧なのは、それが得物としての用途に変わった生活用具だったからである。

言うまでもないが、山賊は城や館の兵士とは違い軽装で、殆どの奴が腕っ節に自信があり、山という地形を知り尽くした荒くれ集団である。


平民や貧民出身の者が殆どで、金には特に目がない。集団で行動し、金持ちの護送車から自分たち以上に貧乏そうな人まで根こそぎ搾り取る。
国から討伐体も派遣されないこの状況では、山賊に成り下がる輩は増える一方なのだ。
勢力を拡大して行く山賊は、国境付近を中心に、近領のサカにまで手を出す始末であった。少女が住んでいるのは、その被害が多い国境付近。

最近は頻繁に多く、応戦できる人の数も少なくなってきている。
だが少女は剣を持ち闘いに挑む。それは彼女に、恐ろしい山賊に対して戦う力が備わっているからに他ならない。

障害物がこれといって存在しない草原では、敵の数が把握しやすい。小競り合いの時は、肉眼で捉えられる敵がそのまま総勢となることもある。
今回は見周りに出ている奴と、草原の民の居住区であるゲルを荒らしている奴の合計二人。少女一人でも追い払える数だ。

近くの戦えない仲間の避難を終え、少女は敵に向かい直線状に走りだした。

こちらの存在に気付いた山賊は、獲物を見つけたとばかりに一気にそれ目掛けて襲いかかる。

対して少女も速度を落とすことなく、相手の懐に斬りかからんと抜刀の構えをとる。
斧を振り上げるという隙を見て、先に仕掛けてきたのは少女の方。高速の抜刀に対し、山賊は避ける事ができず傷を負うが倒れはしない。
体制は若干崩れたが、根性で得物の斧を振り下ろす。だがその縦に真っ直ぐという単調な動きを少女は見切っていた。
ヒラリとあっさり避けてみせ、再び隙ができた山賊に斬りかかる。脇と肩から血を出しても、山賊はまだ倒れようとしなかった。

「お〜、やってるやってる。大丈夫か〜?」
「!? ……クッ!」

不意に後ろから少し間の抜けた声が聞こえる。不覚にも少女は振り向いてしまう。山賊はその隙を見逃さなかった。

「おっと、いけね…大丈夫かよ」

余計な声を出したと口を押さえる旅人をよそに、少女は素早く攻撃をかわすことに神経を研ぎ澄ます。
無傷とはいかず腕に切り傷を負ったが、すぐに体制を整えれば致命的にはならない。むしろ致命的な動きをしてしまったのは相手の方だった。
山賊はよほどその斧を使い慣れていなかったのか、或いは傷を負って力が入らなかったのか、あろうことか手から斧がすっぽ抜けてしまったのだ。

「シマッ……グハァッ!!」

少女は三度目の正直と斬りかかってトドメを指した。山賊の息が途絶えたのを確認するのと同時に、先ほどの声の主が少女の元へ到着した。

「あなた……もう平気なの?!」
「おう。眼を覚ますなり物騒なことになってるがな」

旅人は冗談のような口調で、もう息のない山賊を小突き始める。動かないのを確認した後、旅人は少女を向いた。

「それより怪我しちまったろ? 見せてみな」

じっと今受けた傷口の方を見つめる旅人の視線で、少女は我に帰る。腕の傷は致命的でないにしろ、出血を放っておくと危険な程のものだった。
早いうちに処置した方が良いのは間違いないが、旅人はさも当たり前のように少女の腕を取り傷薬と包帯で処置しようとする。

「い……いいわ、自分でやるから」

「悪かったよ。俺が不用意に声かけたから負った傷だからな……ちょっと包帯の先っちょを押さえててくれるか?」

悪そうに頭を下げて謝った後、傷を負った少女の右腕に薬を塗って包帯を巻く。
言われるがまま彼の処置を受けてしまったが、息をまくべきはその治療の手際である。

「ほいほいほいっと!」

驚いたことに、彼は右手を使わずに左手だけで包帯をヒョイヒョイと巻いて見せた。
包帯を押さえてもらいながら、少女の腕を軸に使った手馴れた手付きに感心せざるを得ない。

「凄い。あなたお医者様か何かなの?」
「……まぁ、そんなもんかな。んじゃま、サクッと片付けるとしようや」

残りの山賊のいるゲルを促す旅人に、少女は違和感を覚える。先ほども確認したが、彼はどこをどう見ても武器を所持していないのだ。
目に付くのは見たことのある戦闘用でないナイフのみ。細腕はお互い様ではあるが、いざ山賊と対面した時戦えるのだろうか。
「ん? ああ、俺は自慢じゃねぇが武術はからっきし出来ねぇ」
不安そうな顔を読み取ってか、旅人は少女に答える。
しかも不安を拭ってくれるどことか的中させてくれるとは……おまけにその態度は開き直りか?

「って、帰れって目をしないでくれるかなぁ」
「……したくもなるわ。よくそれで、こんな危ない所に来ようと思ったわね」

旅人は少し恥ずかしそうに頭を掻くが、反省する気配はなく笑っている。
早く安全な所に隠れてと促そうとしたその瞬間、彼はその緊迫感のない表情のままこう言った。

「んじゃどうだろう。俺を軍師として使うってのは?」
「……はぁ?」

その唐突な提案に少女は面を食らい、普段出さないような声で反応してしまった。
しかも医者をどうやって軍師に用いろというのだ。軍師というのは主の傍で戦況を分析して作戦を練るための存在のはずだ。
仲間の誰よりも賢く、冷静で、武人だけでは不足する部分を補ってくれる……それが軍師というもの。少なくとも少女の認識はそういうものだ。
そう反論しようとしたところで、彼の方が先に口を開いた。

「とは言え周りの状況を察するに伏兵なんかはいなさそうだな。
「あっちの建物にいる山賊以外に殺気はないし、微妙に聞こえる笑い声もその男一人分だけみたいだし。それだけならアンタ一人で片付きそうだ」

旅人は襲われたゲルを指さした。ここからゲルまでの距離は歩いて五十歩ほどで、耳をすませば声が聞こえない距離ではない。
だがこうやって話をしながらも聞き取れるというのは、彼の耳はかなり良いようだ。

「だが新手が来たらどうする? 目の前の敵に気を取られて後ろから襲われちゃ、たまらんだろ。もしそんな新手が来たら俺が知らせてやる。」
「わざわざこんな真っ昼間に二人で来たってことは多分抜け駆けで降りてきたんだろうけど、念は押した方がいいだろ」

言い終えると旅人は親指で自分の顔を指して不敵な笑みを浮かべた。

「戦闘の邪魔はしないと約束するさ。どうだい、ビクビク隠れている奴らより使えることは保障するよ?」
「…………」

(本人にそのつもりはないであろうが)同族をけなされた様な言い方は鼻についたが、恐らく彼の意見は正しい。
それに問題ないかもしれない。さっきの彼の治療の速さは、自分がやるより遥かに早い。それに周りに誰かいたって自分が守ってやれば良い。



そんなことも出来ないで、強くなれる訳がない…。



「…わかった。私が守るから、離れないでね」
「おう。よろしく、え〜と……」

少女を指さして言葉が止まる。その時ようやく二人は、まだ互いに名乗っていないことに気がついた。
軍師を名乗るなら早いうちに気づいてほしいと彼に呆れつつ、少女から先に名乗りでた。

「もぅ……私はリン。ロルカ族の娘よ」

……名前の後に部族の名前を付け足したことに、リンは少し虚しさを覚えた。
そんな表情に気づいているのかいないのか、彼は対照的に快く名乗った。

「俺はティーウ。ベルンの出だ。ってわけで、行こうか!」





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